ポンパドール夫人(ジャンヌ=アントワネット・ポワソン)

ジャンヌ=アントワネット・ポワソンは、1721年、

フランス、パリの銀行家の娘として生まれました。

平民でありながら、ブルジョワ階級の貴族と並ぶ

高等教育を受けて育ち、

その非常に優秀な成績と際立った美しさから、

パリの超一流サロンに出入りするようになります。

その魅力は、ある2月の仮面舞踏会にて、ルイ15世の目に留まり、

当時、既に人妻であった彼女は夫と別れ、

24歳にして、ヴェルサイユの公妾として迎えられました。

教養も知性も芸術センスも抜群な上に、超美貌の彼女に、ルイ15世は、メロメロに

浪費も桁外れて、彼女のための年間の香料の請求額だけでも、

50万ルーブル(75億円)にも上ったと言われています。

彼女は、王の寵愛を受けるに留まらず、

自分の全ての才能を活かして、

味方をつけ「ポンパドール派」と名の付く派閥を作り、

王だけでなく、政治までをも裏で動かすようになりました。

「わたしの時代が来た!」・・・とは、彼女の言葉。

 

平民の身分、さらに愛人とあっては、

宮廷では、必ずや批判や冷遇される立場にありながら、

逞しく生きぬいていく様は、類をみません。

さらに、美しい彼女に相応しい可憐なファッションは、

宮殿の女性たちをも魅了していくのです。

しかし、その強かさとは裏腹に、ポンパドール夫人は、

生まれつき身体が弱く、30歳になる頃には、公妾を退きます。

その後、彼女は、王の傍らから離れるも、友情関係を築き、

自ら選りすぐりの若い美女たちを集めた鹿の園(娼館)を建て、

密かに訪れるルイ15世をもてなし、悦ばせるのでした。

ポンパドール夫人は、ルイ15世の寵愛を占領するためだけでなく、

異様なやり方を駆使してまでも、全てを捧げ王を愛し貫きました。

残念ながら「美人薄命」の通り、

この麗しき花は、42歳の若さでこの世を去りますが、

最期まで、ルイ15世に大事にされました。

 

 

ルイ15世は、フランスにおける大きな功績は残さずとも、

好色美男子としての魅力は、確かなものだったようです。

歴代最も美しい王として、その王位の座を力に、

生涯、女性に飽き足りることなく、多くの女性と交わりました。

王の寵愛を受け、関係を繋ぎ止めるために・・・!!

ヴェルサイユの中では、取り巻きの女性たちが、

            競い合い、どれほどの力を尽くしてきたことでしょう。

全てを兼ね備えているように見えるポンパドール夫人でさえも、

命に代えても、密かに頼っていたものがありました。

それが、愛の媚薬です。

彼女は、ヴァニラを通常の3倍にし、リュウゼンコウ

(マッコウクジラの腸内から取れる強烈な匂いを放つ媚薬で、

当時、麝香と同じくらい人気がありました。)

で香りづけたココア、また、

トリュフとセロリの入ったポタージュを飲んでいたことが記されています。

さらには、死にも至らしめるという危険な媚薬カンダリデス

(マメハンミュウ:昆虫を乾燥させ、粉末にしたもの)

を霊薬と信じ化粧台に置いていたのだとか💦

これは、生殖器への刺激作用から強い催淫作用をもたらすものの、

乱用によって、ひどい皮膚炎や腎臓に障害を引き起こすものでした。

病弱な彼女の身体に、この怪しい昆虫は、強すぎたのではないでしょうか?

 

どの絵画からみても、彼女の美しく麗しい表情からは、

毒々しいものとは無縁なように思いますが、

その真面目さが完璧を求めたゆえなのかもしれません。

 

さて、美女たちの歴史には誘惑の香りと妖しい媚薬がつきものですが、

私たちが安心して飲めて、確かな効果の媚薬もあります

本日は、ヴァレンタインデー

マダム・ポンパドールにインスパイアされた

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